7月7日(木)カンカン照り
そうか、僕は2週間以上も日記を止めていたんだ。悪だ。まごうことなく悪だね。
なんかちょっともう良く分からないね、自分。最近、自分に対する分からなさを放置しすぎている気がする。色々なものに対して把握力がない。まずい。
確かにこの企画を考えたとき、ドキュメンタリー性を大切にという話はあった。しかし、こうも根がズボラだとどうにもならない。ドキュメンタリーという横文字言葉に甘えているだけの不精人だ。
あぁ、しかし、ここまで間が空くと何から書いて良いものか。日々を書こうにも最後に僕が書いた日記からは小川君の更新を挟んで3週間も経つ。事柄はたくさんある。
とりあえず、笑の内閣さんの京都公演が終わったよ。
お客さんも大勢入ったし、評判もまずまずのようなのでとても良かった。
小屋入り中に感想をツイッターで見ていて、僕なりに思うことがあったので、そのことについて書こうと思うよ。
演劇のことを書くのは照れくさいし、きっと偉そうなことを書いてしまうし、得はせんのだろうけど書きたいから書くよ。ごめんね。
僕は娯楽ありきの演劇を出来たらと思うよ。出来たらお客さんに喜んで欲しい。それが笑いの量であれ感情の多様な振れ幅であれ、最終的に喜びにつながれば嬉しい。
そんなことを言いながら見てくれているお客さんに良く分からないくちゃくちゃの気持ちを投げつけたいという欲望もある。許してくれよという我が儘もある。好きになって欲しい気持ち、とてもある。だけど僕はそれをうまくやる技術も心もまだまだ弱いし、勉強をサボっている。そうやって強く思うだけのあかんたれだ。
僕は演劇が好きだ。おそらく。だけど、演劇を至極だとは思わない。語りたければ語ればいいし、演劇を褒めたければ褒めればいい。好きなだけ演劇を抱け。殴れ。演劇の懐は広い。と思う。だから、自分の好きな劇、嫌いな劇がたくさんある。うまい、下手も勿論ある。勉強なんかしなくても勝手にできるんだから。だから難しい。お金も手間もかかりそれなりの数を巻き込む上、芸術だとか芸能だとか趣味だとかごっちゃまぜになっている領分だなと思う。
それぞれがどれをルートに何をゴールと選んだのか。ただ、それだけの気もする。なんにしても演劇群雄割拠。大正義なんて無いのだと思うし、演劇が何に立ち向かうのかとかは僕には良く分からない。つまらないことをすると、お客さんはしらけるというのは分かるけども。むずい。
わーわー言っているけど、僕の他人に対する敬意の払えなさや嫉妬心が癇癪をおこしてるだけだ。
ゲオのアダルトコーナーで、今晩お世話になるビデオを吟味しながらずっとそんなことを考えていた。
アダルトコーナーはとても優しい。カラッカラでゴリゴリのスケベ心というよりは、どこか後ろめたさのある湿ったスケベ心が漂っている。メンタルインポテンツ達が少しでも何かを取り戻そうと、今晩のお供を選んでいる。このぬくもりとひしゃげた寂しさを感じる心だけは生涯なくしたくない。
この日記を書いている間、コンポからはずっとバービーボーイズが流れてる。たまにスピッツ。ロビンソン。
小川君はどんな日々をお過ごし!?日々をラリーしていこうぜ、ラリー。